フランス旅行観光のオンライン辞書・事典: 城

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アゼ・ル・リド城

フランス語: Château d'Azay-le-Rideau
違う綴り:アゼ・ル・リド, シャトー・ダゼ・ル・リド
キーワード: ルワール地方 , 世界文化遺産 , , 観光地
関係有る記事: トゥール
関連サイト: http://www.linternaute.com/sortir/chateaux-loire/7.shtml , http://www.loire-france.com/visites/chateaux/azay-le-rideau/ , http://www.casteland.com/pfr/chateau/centre/indreloire/azay/azay_hist.htm
説明:ルアール川の支流アンドル川の小島には11世紀に既に中世の城が在りましたが、フランス皇太子(後のシャルル七世)は馬鹿にされたのを激怒して1418年に城を焼き払います。その後フランス王の出納係りでトゥールの市長ジル・ベルトロは1518年からブルワ城を参考に新しい城を建て始めます。ジルは汚職の罪に問われて城に東翼を加えませんでしたが、中央階段はフランス・ルネッサンス風城郭の傑作です。

アビニョン教皇庁

フランス語: Palais des papes , Palais des papes d'Avignon
違う綴り:法王宮殿, アビニョン宮殿, アビニョン法王宮殿, 教皇庁宮殿
キーワード: , 観光地 , 世界文化遺産 , 南仏
関係有る記事: アビニョン
関連サイト: http://www.palais-des-papes.com , http://www.avignon.fr/fr/culture/musees/palais.php
説明:イタリア人との抗争を避けるために法王クレメン5世は1309年に法王庁をアビニョンに移した。次の法王ジャン12世は自分の司教職住居を法王庁に改築。かってシステリアン修道僧だった3代法王ブヌワ12世は重厚な宮殿(古宮殿)を建てる。恒久的に此処に居ると思った次の法王クレメン6世はさらに繊細な建物(新宮殿)を加えた。最後の法王グレグワール11世は1377年にローマに帰還するもアビニョンは独自の法王を選び教会大分裂の時代となる。

アンドゥリ城

フランス語: Château Gaillard
違う綴り:アンドゥリ砦, アンドリ城, ガイヤー城, ガイヤール城
キーワード: , 観光地 , ノルマンディー
関連サイト: http://www.ville-andelys.fr , http://remi.placier.free.fr
説明:パリの北西100kmに位置するアンドゥリ城は1198年に英国王でノルマンディー公の獅子心王リチャードによって、フランス王フィリップ・オーギュストから領地を守るためセーヌ川を見晴らす要害の地に建てられた。1199年のリチャードの死後1204年にフィリップはアンドゥリ城を占領。城は400年後のアンリー四世の時代に壊された。

アンボワーズ城

フランス語: Château d'Amboise
違う綴り:アンボワーズ, シャトー・ド・アンボワーズ, アンブワーズ城
キーワード: ルワール地方 , 世界文化遺産 , , 観光地
関係有る記事: トゥール
関連サイト: http://en.wikipedia.org/wiki/Chateau_Amboise , http://www.chateau-amboise.com , http://www.renaissance-amboise.com , http://www.amboise-valdeloire.com
説明:トゥールとブルワの中間ルワール川の南岸の戦略的位置を占めるアンボワーズ城は城主の裏切りで国王シャルル7世に差し押さえられました。アンボワーズに生まれた国王シャルル8世は1492年から城を拡充しイタリア戦役の後イタリアの家具や芸術家達を運び込み城をイタリア風に仕立て上げます。アンボワーズ育ちの国王フランソア1世はブルワに引越しする前に更に城を改善します。レオナルド・ダ・ビンチは王様の賓客としてアンボワーズで最後の時を過ごしました。

カルカッソンヌ

フランス語: Carcassonne
違う綴り:カルカッソン
キーワード: , 世界文化遺産 , 観光地 , 南仏 ,
関連サイト: http://www.carcassonne.org , http://www.carcassonne.culture.fr
説明:南フランスに位置するカルカッソンヌはその戦略的重要さから既にローマ時代に砦が造られた。中世には1209年までアルビジョア十字軍に抵抗するカタリ派の抵抗拠点。1247年にフランス王国に編入後カルカッソンヌはアラゴン王国との国境の町に成ったので外部城壁が加えられ難攻不落と成る。1997年に中世城郭都市はユネスコの世界文化遺産に登録。カルカッソンヌはオード県の県庁所在地で人口は44000人。

グラン・トリアノン宮殿

フランス語: Grand Trianon , Palais du Grand Trianon
違う綴り:グラン・トリアノン, グラン・トゥリアノン
キーワード: パリ郊外 , 世界文化遺産 , , 観光地
関係有る記事: ベルサイユ宮殿 , プティ・トリアノン宮殿
関連サイト: http://www.insecula.com/musee/M0038.html , http://fr.wikipedia.org/wiki/Grand_Trianon
説明:1670年、ルイ14世は建築家ルイ・ル・ボに個人用の宮殿を近くに建てるように命じ、それによって宮殿儀式の煩雑さから逃れようとした。青白のファイヤンス焼きタイルで覆われた最初の宮殿はもろかったので代わりにジュール・アルドゥワン・マンサールに命じて1687年から1688年にかけてピックの大理石で飾られた一階建てのバロック風宮殿が建てられた。ルイ16世とマリ・アントワネットはプティ・トリアノンの方を好んだ。フランス革命で内部が破壊された後、ナポレオンは1805年から1815年までグラン・トリアノンに居を構えた。

コンピエーニュ城

フランス語: Château de Compiègne , Palais de Compiègne , Musée de Compiègne
違う綴り:コンピエーニュ宮殿, コンピエーニュ美術館, コンピエーニュ
キーワード: , 観光地 , パリ郊外
関連サイト: http://www.mairie-compiegne.fr , http://www.musee-chateau-compiegne.fr
説明:パリの北50kmに位置するコンピエーニュの町はローマ時代から有りました。843年のベルダン条約によるフランク帝国の分裂後、西部を相続したシャルル2世はコンピエーニュを首都にした。100年戦争時の1430年ジャンダルクはイギリスに組したブルゴーニュ兵に捕らえられた。国王ルイ15世は1751年からコンピエーニュ城を造り直し始め、完成したのは1788年のルイ16世の時代。1918年11月第一次大戦を終わらせる休戦条約は近くのコンピエーニュの森で署名された。

サン・ジェルマン城

フランス語: Château de Saint Germain , Château de Saint Germain en Laye
違う綴り:シャトー・ド・サン・ジェルマン, サンジェルマン城, サン・ジェルマン
キーワード: , 観光地 , パリ郊外
関係有る記事: RER , ベルサイユ宮殿
関連サイト: http://www.ville-st-germain-en-laye.fr , http://www.musee-antiquitesnationales.fr
説明:パリの西20km、ベルサイユの北に位置するサン・ジェルマン城は最初国王ルイ6世によって1122年に建設されルイ9世(サン・ルイ)が拡大した。100年戦争時代1346年にイギリス軍に焼かれたが1367年にシャルル5世によって作り直された。セーヌ川を見下ろす庭園は1556年にエンリー2世によって造られエンリー4世が拡大した。国王ルイ14世はサンジェルマン生まれ。ナポレオン三世によって修理された城は国立古代美術館を収容する。サンジェルマンにはパリからRER線で行かれる。

シテ島

フランス語: L'île de la Cité , La Cité
違う綴り:シテ
キーワード: パリ , 世界文化遺産 , , 場所 , 観光地
関係有る記事: ノートルダム寺院 , サント・シャペル
関連サイト: http://www.insecula.com/musee/M0073.html , http://www.pariserve.tm.fr/quartier/00ilecite.htm
説明:初めはセーヌ川の中の小島でしたが侵略者に対して守りやすいため町が徐々に発達します。ローマ時代にはリュテースと呼ばれて451年のアッティラ侵攻にはシテ島の住民はセント・ジュヌビエーブに勇気ずけられます。メロヴィング王朝はパリを首都に定めて、885年のバイキング侵攻にもシテ島はウードの指揮下で抵抗します。ノートルダム寺院やサントシャペル・コンシエルジ等中世のモニュメントが豊富なシテ島はユネスコの世界文化遺産です。

シノン城

フランス語: Château de Chinon
違う綴り:シノン, シャトー・ド・シノン
キーワード: ルワール地方 , 世界文化遺産 , , 観光地
関連サイト: http://perso.wanadoo.fr/jean-francois.mangin/capetiens/fenetres_filles/chateau_chinon.htm
説明:ルアール川の支流、ビエンヌ川の北岸の絶壁にはローマ時代から砦が有りましたがアンジュ伯が1044年に城を占領しその後アンリー伯2世がイギリス王となりシノンの重要さが増します。彼はムラン塔やサンジョージ砦を加え城を補強しますがフランス王フィリップ2世は1205年に城を落とします。フランス王シャルル7世が1492年に初めてジャンヌダルクに会ったのもシノンです。

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