フランス旅行観光のオンライン辞書・事典: 場所

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コンコルド広場

フランス語: Place de la Concorde
キーワード: パリ , 場所 , 観光地
関係有る記事: シャンゼリゼ , チュイルリー宮殿
関連サイト: http://www.insecula.com/musee/M0051.html , http://en.wikipedia.org/wiki/Place_de_la_Concorde , http://www.discoverfrance.net/France/Paris/Monuments-Paris/Obelisque.shtml
説明:シャンゼリゼ通りの東端、チュイルリ公園の側に在る八角形の広場で1755年に造られた。当時の王様の名を取ってルイ・15世広場と呼ばれたが、王制転覆で革命広場に変名。フランス国王ルイ・16世と王女マリ・アントワネットは1793年にそこでギロチンされた。北側にはロイヤル通りを挟んでフランス海軍指令本部とクリヨン・ホテルが在る。中央に在るリュクソールのオベリスクは1831年にエジプトのスルタンからフランスに贈られた。

シテ島

フランス語: L'île de la Cité , La Cité
違う綴り:シテ
キーワード: パリ , 世界文化遺産 , , 場所 , 観光地
関係有る記事: ノートルダム寺院 , サント・シャペル
関連サイト: http://www.insecula.com/musee/M0073.html , http://www.pariserve.tm.fr/quartier/00ilecite.htm
説明:初めはセーヌ川の中の小島でしたが侵略者に対して守りやすいため町が徐々に発達します。ローマ時代にはリュテースと呼ばれて451年のアッティラ侵攻にはシテ島の住民はセント・ジュヌビエーブに勇気ずけられます。メロヴィング王朝はパリを首都に定めて、885年のバイキング侵攻にもシテ島はウードの指揮下で抵抗します。ノートルダム寺院やサントシャペル・コンシエルジ等中世のモニュメントが豊富なシテ島はユネスコの世界文化遺産です。

シャンゼリゼ

フランス語: Champs Elysées , Avenues des Champs Elysées , Boulevard des Champs Elysées
違う綴り:シャンゼリゼ通り
キーワード: パリ , 場所 , 観光地
関係有る記事: アーク・ド・トリヨンフ , ルーブル美術館 , コンコルド広場
関連サイト: http://fr.wikipedia.org/wiki/Avenue_des_Champs-%C3%89lys%C3%A9es , http://www.magicparis.com/champselysees/fr/frindex.asp
説明:パリの北西に在る有名な通りでコンコルド広場から凱旋門まで歴史的軸に沿って走っている。17世紀まで周りは牧場だったがル・ノートルがシャンゼリゼを設計してから迅速に発展した。1828年にパリ市の所有と成る。ナポレオン三世の時代にはロスチャイルドやプレール等の大富豪が住み、続いてビトン・ゲルラン・ランバン等の高級ブチックも開店。シャンゼリゼはギリシャ伝説で天国のこと。

モンマルトルの丘

フランス語: Butte Montmartre
違う綴り:モンマルトルの岡, モンマルトル
キーワード: パリ , 場所 , 観光地
関係有る記事: サクレ・クール寺院 , サン・ドニ
関連サイト: http://www.montmartrenet.com , http://en.wikipedia.org/wiki/Montmartre
説明:パリの北部地区に位置するモンマルトルの丘は1860年にパリに併合されるまで税金の安いパリの外に位置し農民達がブドウ畑を耕していました。そのせいでモンマルトルは安く酒が飲める場所と評判になり、沢山の人々とりわけ芸術家達が集まるようになりました。伝説的なテルトゥル広場は今では肖像画描きや画商で賑わっています。モンマルトルはまた西暦紀元250年頃聖デニス殉教の地としても有名で今ではサクレケール聖堂が丘の上に聳えています。

ラ・デフォンス

フランス語: La Défense , Paris La Défense
違う綴り:デフォンス, パリ・ラ・デフォンス, ラ・デファンス
キーワード: パリ , パリ郊外 , 場所 , 建物
関係有る記事: RER
関連サイト: http://fr.wikipedia.org/wiki/La_D%C3%A9fense , http://www.paris-tourisme.com/monuments/defense/ , http://monputeaux.free.fr/ladefense/
説明:パリの西郊外三つの町(ピュト・ナンテール・クルブブワ)に跨るラ・デフォンスは15万人が働くヨーロッパ最大のビジネス地区です。1950年代にパリの事務所用ビル不足を改善するため政府はこの地区の再構成を計画した。最初のビルは100mの高さに制限されていたが1980年代からカトゥル・タンや歴史的軸の延長に在るグランド・アルシュ等最新の建物が多く加えられた。ラ・デフォンスに行くにはRERのA線を使う。

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